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【愛車遍歴①】ホンダのシビックRSLの思い出

タイヤ

青春の1ページ:大学生時代のシビックRSL ~借り物の愛車と若気の至り~

こんにちは、カーすきです。

プロフィールに、車好きリーマンと書いているので、カーすきの愛車遍歴をシリーズとして書いていこうと思います。今回は、記念すべき、その1回目。

ちなみに、現在の車は、人生18台目。途中から、嫁さんと2台体制になりましたが、嫁さんの車は、カウントに入れていません。

当時、もちろん、カラー写真はありましたが、残念ながら、デジカメのようなものがなく、これだけ車が好きだったのにもかかわらず、シビックの写真は1枚も残っていません。

まずは、大学生時代の”愛車”、ホンダ・シビックRSLについて書いてみたいと思います。実は、この車には隠された秘密があったんです(おおげさ)

どんな車かイメージがわかないかもしれませんので、ホンダさんからお借りしてきました。色は、あざやかなブルーでした。

出典:https://www.honda.co.jp/factbook/auto/CIVIC/19920700/cv20-009.html

意外な出会い:いとこの車との運命的な出会い

1980年代初頭、私が大学2年生だった頃のこと。

当時の日本は高度経済成長期を経て、バブル経済へと突入しつつありました

街にはTVゲームを置いた喫茶店が増え始め、ウォークマンのヘッドフォンを頭に付けた若者があふれていました。

カーすきもご多分に漏れず、授業も出ないで、1,000円札を100円玉に変えて、インベーダーゲームに夢中の大学生でした。

ゲームのやりすぎで、右手の親指に豆ができて、出血したほどです。

そんな時代、私の人生を変える”愛車”との出会いがありました。

実はこの車、厳密には自分の車ではありませんでした。

2歳年上のいとこが所有していた車なんです。いとこは既に社会人。平日はほとんど車を使わないということで、「たまには乗ってやってくれよ」と言われたのがきっかけでした。

最初のうちは、平日だけ借りては返していました。でも、大学生の私にとって、自由に使える車があるというのは、まるで宝の山を見つけたような気分。そのうち返すのもおっくうになって…気がつけば、自分の車のように乗り回していたんです(汗)。

今思えば、本当に厚かましい話です。後々、母が申し訳なく思って、いとこに50万円をこっそり渡しているところを見てしまい、情けない思いをしました。でも、ドラ息子の私は母にその50万円を返していません(笑)

(その分、母親の晩年は、目いっぱい親孝行したつもりです。)

シビックRSLとの出会い

このシビックRSLとの出会いには、ちょっとした裏話があります。

当時、私は家庭教師のアルバイトをしていました。その生徒の家のお母さんの実家が車の整備工場だったんです。ある日、何気なく、いとこが車を探しているという話をしていたら、「良い車があるんだけど、見てみない?」と言われて…そこで出会ったのが、このシビックRSLだったんです。

確か、いとこが買った時も50万円。でも、当時の50万円は、今のお金に換算するとかなりの額だったと思います。なんせ最近では、コンパクトカーでも新車なら300万円はしますから。

いとこも頑張って貯金してたんでしょうね。

鮮やかなブルーのボディカラーは、今でも目に焼き付いています。

当時流行っていた曲じゃないですが、まさに「ブルーライトヨコハマ」な雰囲気でした(笑)。

若者の心をくすぐるスポーティな外観に、(自分の車でもないのに)一目惚れしたのを覚えています。

大学生活と共にあった シビックRSL

当時のかーすきといったら…とにかく遊び盛りでした。まさに青春を謳歌していた時代。人生を振り返っても、一番楽しかった時代です。

この車は、そんな私の大学生活になくてはならない存在でした。

当時は、今では考えられませんが、大学の構内にも自由に私用車で出入りできたんです。朝はぎりぎりまで寝て、急いで車を飛ばして大学に向かう。授業中は駐車場で昼寝をし、午後はサークル活動、夜はアルバイト。そんな生活の相棒でした。

特に思い出深いのは、友人たちとの長距離ドライブです。4人で車に荷物を詰め込んで、行き先も決めずにとにかく走る。カーステレオから流れる松田聖子やチェッカーズの曲に合わせて、窓を全開にして大声で歌を歌いながら走った夏の高速道路。今思えば、周りの車には迷惑この上なかったでしょうね(冷や汗)。

夜通し走って、朝日を見に海まで行ったこともありました。そういえば、帰りに燃料切れを起こして、皆でガソリンスタンドまで車を押したっけ。今考えると危険この上ない行動ですが、若さって怖いですね(苦笑)。

若気の至り:レーサー気取りの峠走り

ここだけの話ですが(もう時効でしょう?)、このシビックRSLで峠道を攻めたこともありました。

友人たちと「俺たちもドリフトだ!」なんて、今思えば冷や汗ものの無謀な真似をしていました。

ヘアピンカーブを曲がる時のタイヤの軋む音、エンジンの唸り、そしてアドレナリンが駆け巡る感覚…。確かにスリリングでしたが、今考えるとゾっとします。どれだけ無謀だったか、当時は全く気付いていませんでした。よく事故らなかったものです。

あの頃の興奮と恐怖が入り混じった感覚は、今でも鮮明に覚えています。若気の至りとしか言いようがありません。

シビックRSLの特徴:時代を映す鏡

さて、ここからは少し真面目に、シビックRSLの特徴について語ってみましょう。

このモデルは、往年の名車と言われるホンダの初代シビックの後継車種です。特にRSというホットモデルの血統を引き継いでいました。しかし、このRSLが登場した1980年代初頭は、自動車業界にとって激動の時代でした。

当時、日本の自動車メーカーは厳しい排ガス規制との戦いの真っ只中にありました。各社がその対策に頭を悩ませる中、ホンダが選んだ武器が「CVCC」というエンジンでした。Compound Vortex Controlled Combustion(複合渦流調整燃焼)の略で、低公害と引き換えに、どうしてもパワーが犠牲になってしまう…そんなジレンマを抱えていたんです

  • エンジン:1,488cc CVCC
  • 最高出力:70PS/5,500rpm
  • 最大トルク:10.7kg・m/3,000rpm

今の車の性能から見れば、とても物足りない数字に見えるでしょう。実際、当時のモータージャーナリストたちからも、RSLスポーツモデルでありながら、エンジンの評価はイマイチだったようです。「規制に縛られて、本来の力を発揮できていない」なんて評されていました。

ただ、エンジン以外の部分は別物でした。特に足回りは、規制の影響をほとんど受けていなかったので、とにかく硬かったんです。バンパーの上に乗って全体重をかけてゆすっても、びくともしなかった記憶があります。まるでカートのような、路面からのフィードバックがダイレクトに伝わってくる…そんな剛性感は、若かった私の血を滾らせるには十分すぎるものでした。

そして、RSLタイプならではの特別装備が、これまた魅力的でした。従来のシビック1200RSのスポーティな血統を受け継ぎ、5速マニュアルミッションと13インチのワイドタイヤを標準で装備していたんです。

当時、5速ミッションなんて、まだまだ珍しい存在でした。高速道路を巡航する時の静粛性が格段に向上し、しかも燃費も良くなる。13インチのワイドタイヤは、見た目のカッコよさはもちろん、コーナリング時の安定性とグリップ力を大幅に向上させていました。

今思えば、これらの装備が私の無謀な運転(反省)を後押ししていたのかもしれません。でも、これらの特徴が、当時の若者の心をガッチリ掴んで離さなかったのも事実です。私もその虜になった一人でした。

ちなみに、驚くべきことにエアコンがありませんでした。今の車では考えられませんよね。

真夏の炎天下、窓全開で走る。そんな光景が当たり前だったなんて…。

汗だくになりながら運転していた記憶が蘇ってきます。今の若い人には想像できないでしょうね。

維持と苦労:故障だらけの晩年

さて、ここからは少し悲しい話になります。どんなに素晴らしい車でも、年月には勝てません。最後の方は、正直言って故障だらけでした。

最もひどかったのは、ラジエーターに穴が開いてしまったこと。なんと、室内に冷却水が漏れながら走っていたんです。オーバーヒート対策として、一升瓶に水を入れて後部座席に常備していました。今考えると笑えますが、当時は必死でしたね。

エンジンオイルの減りも尋常じゃありませんでした。100km走るごとにオイルを継ぎ足す生活…。今なら、即座にエンジン載せ替えですが、当時の私には「まあ、これも味があっていいじゃないか」くらいの感覚でした。若さって恐ろしい(笑)。

そして、忘れられないのが、ある日、走行中に、変速しようとしてクラッチを踏んだら、パコッという音がして、クラッチがスコスコになりました。一瞬、何が起こったかわからず、頭が真っ白になりましたが、何とか惰性で車を路肩に寄せた記憶はあるのですが、そこからどうしたか全く覚えていません。

まさか、自分で修理したわけはないので、JAFでも呼んだんだろうと思いますが。

現在の私につながる原点

シビックRSLと過ごした日々は、紛れもなく私の車好きの原点となりました。

借り物とはいえ、この車との数々の思い出が、現在のブログ「カーすき」の運営にもつながっているんです。

あの頃の純粋な車への愛着、走る喜び、友人との思い出。技術は進化し、時代は変わりました。今や自動運転やEVの時代です。でも、車を愛する気持ちは今も変わらず、むしろ深まっているように思います

シビックRSLは、私にとって単なる移動手段以上の存在でした。青春の象徴であり、夢と冒険の相棒。そして、車好きとしての第一歩を踏み出させてくれた、かけがえのない存在だったのです。

今の私が、あの頃の自分に言えることがあるとしたら…「もう少し大事に乗れよ」かな(笑)。でも、同時に「その情熱は大切にしろよ」とも言いたいですね。

皆さんも、学生時代の車の思い出はありますか? 借り物でも、ボロ車でも、きっと懐かしい思い出があると思います。あなたの青春を彩った車は何でしたか? よかったら、コメント欄で教えてくださいね。

次回は、また別の愛車について書いてみようと思います。

カーすきの愛車遍歴シリーズをお楽しみに!(笑)

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